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現代アーティストとツイッター

2ちゃんねるに似たもの(規模含めて)は日本にはなかなか出てこないなと思っていたら、ツイッターができた。これはけっこう雰囲気的に似ている部分はあるとおもう。匿名というところでは、よりそれっぽいのは2ちゃん、特に昔の、だけれど。こういう便利なものができると、とにかくみんな使う。使って発言する。いまは、便利にするというところがマストで、それをちょっとでも阻害する動きができると後退する。最近ではLINEの認証みたいな。ちょっとでも不便になると似た別のサービスを探して使ってしまうので、とにかく今は便利に、より簡易に、が絶対。で、これだけ便利なメディアになると、今まであまり発言とか生活が見えなくて、謎と思っていたような職種の人の状況も少しみえてくる。それが自分にとっては現代アートの作家だったのだけれど、かなりの人がツイッターで生活とか、作品の製作過程とかつぶやいている。こういう場で、その作品のコンセプトとか、製作過程で思ったこととか、その他いろいろ変化とか、つぶやいてしまうのはどうなんだろうっていうのは、少し思うところがあって、それを全部作品にこめて見せてもらえたら、見る側にとっては最初に受ける印象はより強くなるんじゃないのかな、とか。ファンだからどうしても日々のつぶやきを見てしまって、なるほどそういう過程でできてきたものなのか、というのを見た上で作品見に行くと、なるほどなるほど、ってなってしまうような。とはいうものの、展覧会いくと昔のアーティストが友人にあてた手紙とか、一般大衆にむけた文章とか、今とは形は違えど、メインの作品ではない、生活の中のなにかをみることは多いわけで、そうなると、昔にツイッターがあったら、たとえばゴッホも、ひまわりなう、とかつぶやいているのかなとか思ったりもするわけで。結局は、生活に密着しているものがあって、それが今あるなら使うのは自然で、その上で作品ができあがっていく、この流れそのものが昔とは違う現代のアートなんだなと思うようにもなった。とはいうものの、まだ考えてしまうところはある。深く考える必要はないのだろうけれど。アートそのものの、ブランドイメージに通じるところがあるからかな。
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Comment

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こうやっていろいろ考えるのは結局いまも昔も変わらないのかなーって思うようにはなった。昔の作品が、なんとなくブランド化しているのって、昔の人と今直接話す術がないからでもありそうだし。いまそれなり著名な人の作品はきっと、そのまま未来になれば、同じような扱いになってくるんじゃないかな、とか。多くの作品の価値は、作者の死後に上がるっていう、、
2012年12月07日(Fri) 23:58
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私も発表前に小出しにされる制作過程とか作者の心情は野暮だと思うときがあるなー。
好きになれば作者の人間味とかどんな情報でも嬉しいけど、初見のインパクトが薄れるのは勿体無いのでそういうのは後でいいかな。最初は作品を絶対的な物としてそれー!どーん!と与えられたい欲…。現代アート作家さんはツイート見てるとけ、結構普通の自由業の人だな!?って戸惑う笑 もっとお高くとまって欲しい~。
2012年12月07日(Fri) 10:39












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